エレベーターの歴史とイノベーション | 日本オーチス
オーチスの歴史:
革新と進歩の物語
2023年9月20日、オーチス・エレベータ・カンパニーは創業170周年を迎えました。170年前、エリシャ・オーチスが発明した安全ブレーキを搭載したエレベーターが初めて販売されました。
この発明は、エレベーターの安全性を高め、都市の発展と人々の移動の新たな手段を促進する新しい産業が立ち上がるきっかけとなりました。
以下の年表では、オーチス・エレベータ・カンパニーがエレベーターとエスカレーターの製造、据付、保守において世界をリードする企業になるまでのマイルストーンの数々をご覧いただけます。
現在、オーチスの製品は、人々が移動する多くの場所でご利用いただいています。
オーチスの歴史を紐解いてみましょう。
イノベーションというレガシー
1850年代
創業時:「全てにおいて安全を」
1853年
創業者のエリシャ・グレイブス・オーチスは、熟練した職人であり、断固とした起業家でした。エレベーターの安全ブレーキを発明し、初めて安全ブレーキを搭載したエレベーターを販売したのです。
これは、工業化時代の普遍的な問題であった、吊り上げロープが破損した場合に、人命を危険にさらしたり、貨物を破損したりせず、各階に安全に移動させるソリューションとなりました。
彼の発明は最終的に近代都市を生み出し、私たちの暮らし方、都市の作り方、そして世界の動きを変えました。
1854年
販売を促進するためエリシャ・オーチスは、興行師の P.T.バーナムと交渉し、ニューヨークで開催された万国産業博覧会(通称:クリスタル・パレス博覧会)に自身の発明品を出展しました。プラットフォーム・リフトで観客の頭上に立ったオーチスは、ロープを切るよう命じました。プラットフォームは数インチ下がり、群衆は悲鳴を上げましたが、安全ブレーキにより即座に降下が止まりました。「皆さん、全てにおいて安全です」とオーチスは強調しました。
1854年~1857年
オーチスは1854年に8台、1855年に15台のエレベーターを販売しました。1857年、オーチスはニューヨーク市の E.V.ハフアウト・ビルに、乗用としては初のエレベーターを設置しました。このビルは5階建てのデパートで、メアリー・トッド・リンカーンなどの富裕層が顧客でした。
1900年代
オーチスが更に拡大
1900年代、そして社長、会長として在任した32年間、ボールドウィンは事業拡大、品質、革新に注力し、オーチスを大きく繁栄させました。世界中でオーチスのエレベーターは、実用的なものから豪華なものまで、あらゆる高さとスタイルの建物に設置されました。
1900年
パリ万国博覧会でオーチスの動く階段がグランプリを受賞しました。装置発明家のチャールズ・シーベルガーがオーチスと組み、ラテン語を使った「エスカレーター」という言葉を生み出しました。この言葉を直訳すると「から横断する手段 」となります。シーベルガーは1899年にこの言葉を商標登録しました。しかし50年後、米国連邦裁判所は、この言葉はシーベルガー/オーチスの動く階段の代名詞となり、もはや一般的なものとなったとして、この商標を無効としました。
1903年
オーチスは、改良型ギアレス巻上機で業界をさらに進化させました。この技術により従来の高さ制限を超えることができ、更なる高層ビルの建設が可能になりました。
1905年
ノートン・オーチスが、癌のため63歳で死去しました。わずか23ヶ月前に連邦下院議員に当選していました。
1907年
自由の女神像がニューヨーク港に作られてから21年後、オーチスは石造りの台座の上まで訪問者を運ぶエレベーターを初めて設置しました。自由の女神像自体にはエレベーターがないため、訪問者は女神の冠までの残り377段の階段を歩いて登ります。
1950年代
テキサスから世界各地へ
1950年
テキサス州のダラスにある11階建てのアトランティック・リファイニング・ビルに、Autotronic™ システムの1号機が設置されました。このビルはオーチスの高速無人エレベーターを導入した世界初のビルです。
1952年
ニューヨークに国連本部が開設され、33台のオーチス・エレベーターが設置されました。
1953年
アジアにおけるオーチスの継続的な拡大に向けて、マヒンドラ・アンド・マヒンドラ社と合弁し、オーチス・インドを設立しました。
1970年代
コンピューター制御のエレベーター
1976年
経営の多角化を図るため、UTC(ユナイテッド・テクノロジーズ)は、当時10億ドル規模の世界最大のエレベーター会社であるオーチスを買収しました。
1979年
オーチスは、マイクロプロセッサーによって制御されるエレベーターシステム、Elevonic™101を発表しました。コンパクトな操作により、エレベーターの速度、位置、方向をビルの交通の流れに合わせて調整することで、移動時間を短縮することが可能になりました。オーチスのエンジニアは、宇宙飛行士の月面着陸に貢献したUTCの航空宇宙部門であるハミルトン・スタンダード社と共同でこの技術を開発しました。
2000年代
Gen2®システムとエネルギー回生型ReGen™ドライブ
21世紀は、乗客に快適さを提供し、お客様に省エネを提供する革新的な製品から始まりました。
2000年代
オーチスは、従来のスチールケーブルの代わりに、長寿命のスチール補強フレキシブルフラットベルトを採用したGen2エレベーターシステムを発表し、エレベーター業界に革命を起こしました。このベルトは騒音と振動を著しく低減し、滑らかで静かな乗り心地を実現します。Gen2エレベーターファミリーは、オーチス史上最も人気のあるエレベーターとして100万台以上を販売し、今も増え続けています。
2005年
オーチスは、低・中層ビル用を含む全てのGen2エレベーターに、ReGenドライブを標準で装備しました(1996年に高層ビルエレベーター用のオプションとして初めて導入)。ReGenドライブは、通常であれば熱として失われるエネルギーを回収して発電し、ビルの電力網に供給します。これにより、エネルギーの節約が可能になります。例えば、ReGenドライブを搭載したGen2エレベーターは、回生ドライブを搭載していない従来の油圧システムと比べ、使用するエネルギーを約75%削減できます。
オーチスは人々が移動するあらゆる場所に存在します
当社は、安全かつ持続可能な方法で業界を進歩させるため、将来に渡って革新を続けていきます。
「世界エレベーターの日」 – オーチスのイノベーションが生んだ歴史
オーチスは初となる乗用エレベーターを製造しました。
3月23日は「世界エレベーターの日」です。エレベーターの歴史は、当社の歴史でもあります。1857年3月23日、エダー・ハウアウトがニューヨーク市に高級デパートを開業しました。5階建てのデパートには、オーチス初の乗用エレベーターが設置されました。